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ひ孫、生まれたよ。

愛情深く、どんな時でも味方をしてくれて、安心できる唯一の場所だった祖母。そんな祖母に生まれたすぐの娘を抱いてほしかった、と言うお孫さんからのご依頼でした。病院のベッドからお孫さんの目線で、祖母さまの愛用していた腕時計の刻む時刻は出産の数分後です。大好きだったみかんを差し入れに「よくがんばったね」というお祖母さま暖かな眼差しを描きました。



ご遺族の感想

絵を見た瞬間に、ずっと夢に見ていたものがそこにある感動で涙があふれました。幼い頃に両親が離婚し、祖母が母親代わりとなり、育ててくれました。

父の再婚を受け入れられない時期や、反抗期にはたくさん心配をかけましたが、誰よりも私を信じてくれて、決して見放さず、たくさんの愛情を与えてもらいました。本当にたくさん迷惑や心配をかけた祖母に、親孝行をしたいと思い、「今度旅行に連れていくね」って話していた矢先の、祖母の入院。まさか、そのまま亡くなるとは思っていませんでした。

17歳の私はまだ、命に限りがあることを知りませんでいた。なんでもっと早く、親孝行をしてあげられなかったのか。世界でたった一人、無償の愛をくれた祖母を失い、しばらくは生きることもつらいと思うようになりました。

よく祖母が言っていたのが、「ひ孫の顔を見るまでは死ねない」でした。

当時の私には結婚や子供産むことなどはあまりピンときませんでしたが、時を経て、自分が妊娠した時に、自分の体内に命が宿った幸せを感じました。祖母が亡くなり色褪せていた世界が、急に、鮮やかに色をつけ、目に映るものすべてが優しく、この命を祝福してくれている、そんな気分になりました。産むまでもずっと祖母にこの子を守ってと心の中でお願いしていました。

娘を産んだ時、自分よりも、誰よりも先に、祖母に抱かせてあげたかった。無償の愛を与え続けてくれた祖母に、親孝行を何一つできなかった祖母に、愛しくてたまらないこの小さな命を抱かせてあげたかった。

大村さんの絆画と出会った時に、たくさんの絆に感動し、私の叶えられない夢=祖母の願いが叶えられることが頭の中にうかび、リーフレットを読みながら泣きました。産まれたばかりの娘を抱いてうれしそうな祖母を描いてもらいました。偶然にも、絆画を描いてもらったのは娘が17歳になる年。私が祖母を亡くした歳。娘にも、娘の誕生をずっと願っていた人がいたことを、絆画を見せながら話しました。

祖母と娘の絆を結んでくれて、私の夢を叶えてくれて、本当にありがとうございます。

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